宮川頼之さん 野田沢地区 トマト栽培
ジュースになるトマトを栽培
震災後、栄村に来た報道記者たちの目にとまり、口コミで話題となり今や品切れとなってしまうほどの人気商品「さかえむらトマトジュース」。
このトマト栽培をしているのが、宮川さんだ。
農業を営む宮川一家が耕す農地は、畑と水田を合わせて約10ヘクタール。
そのうちトマト畑は約3ヘクタール。
こだわりトマトができるまで
種まきはまだ雪が残る3月末。苗は大事にポットで育て、5月中頃に畑に植える。
8月が収穫時期で約一ヶ月間かけて200tを収穫し、加工工場へ出荷している。
収穫期には栄村周辺の「さかえむらトマトジュース」を応援してくれる25人ほどに手伝ってもらっている。完熟したトマトを手摘みで収穫していく。
一時はトラクターでの収穫も試みたが、せっかく大事に育ててきたトマトが潰れて出荷ロスが起こったという。
また、機会を動かすために結局多くの人手が必要だった。
原点回帰、手摘みが一番だという結論になった。
「手摘みなら完熟したトマトだけを収穫できるしね」と宮川さん。
トマトジュースを届けるために
栄村の土壌は肥沃ではない。そして、山間地で寒暖の差が大きい。この2点がトマト栽培に適している。また、宮川さんが栽培するのはトマトだけではない。
トマトは連作を嫌うこともあり、アスパラガスやズッキーニ、大豆などさまざまな野菜を作っている。朝早くから夜まで宮川さんの忙しい日々は続く。
父の姿を思い出す
この栄村でトマトジュース用のトマト栽培を始めたのは宮川さんの父。
宮川さんは26歳の時、中心となりこのトマト栽培を担うようになった。
父のトマト栽培していた当時を思い出し話してくれた。
当時栽培していたトマトは皮が薄く、収穫の時に潰れてしまい、ジュースにできないトマトが今より多かったという。
サラダで食べるトマトの品種と変わりはないが、現在は、皮の厚いトマトを栽培している。
栄村のトマトを守った
約50年前には50人ほどが栽培していたトマトだが、いつしか栄村でトマト栽培をするのは宮川さんだけになっていた。
震災を受けて、トマト栽培をやめることも頭をよぎった。
自分がやめたら栄村からトマトが消えてしまう-。
地震で倒れた納屋は、廃材を使い自分の手で再建。宮川さんはトマト栽培をやめなかった。
2013年、栄村でトマトを栽培する農家は宮川さんの他に2軒増えた。