渡辺俊男さん 箕作地区 中華料理「楼蘭」のマスター
東京新聞の記事
新潟生まれの渡辺さんは18歳のころから中華料理を始め、東京で中華料理店「楼蘭」を営んでいた。東西の交易の要所で、旅人が足を休めるシルクロードの都からその名を取った。
2007年に当時の村長・高橋芳彦さんの記事を新聞で読んだ。そして雑誌の表紙にも高橋さんの言葉を見つけ、心に響いた。
『一人一人が自分の存在価値を持って生きる』『合併しない村』『老いの価値』。これらが渡辺さんと栄村との出会いだった。地図を開き、栄村を訪れた。
斉藤文則さんとの出会い
役場を訪れた。当時定住促進係の斉藤文則さんの案内で、村を巡り、村の人と出会い、村を好きになった。何度も村に通い、四季を感じ、場所を感じ、人の温かさを感じた。
2011年、ついに夫婦でIターン移住を実行し、東京と同じ中華料理「楼蘭」を栄村・箕作地区に開店した。それは、栄村を襲った長野県北部地震発生の直前だった。
地域のために
激震がお店を襲い、店内の什器はほぼ全てが割れ店中に散らかった。車中泊と避難所暮らしを余儀なくされ夫婦で苦労をしたが、一方で地元の人と苦楽を共にし、絆を強くした。
村の人の情を改めて感じた。
渡辺さんには忘れられない情景がある。村のばあちゃんに自慢のラーメンを出したら食べる前にお祈りをしてくれた。感動、料理人冥利に尽きるとはこのことだった。
地域のためのお店でありたい、渡辺さんは移動手段のないお年寄りのために色々な取組みをしている。お茶のみは上手くいかなかったので、今度は地域の独り身や老夫婦を集落毎によんでお迎え付き夕食会をワンコイン料金でやったりもする。
長野県飯山市の人形作家の高橋まゆみさん、栄村の絵手紙作家の山路智恵さん、おふたりの作品の多くに必ず「お年寄り」がいて、渡辺さんもいつも地域のお年寄りに心を寄せている。
栄村でよかった
評判を聞いた新潟県側のリゾートホテルの方が宿泊のお客さんをお店に連れてくる、料理を出して渡辺さんが話しかけるととても喜んでくれる。
東京の頃のお客さんやアルバイトも栄村まで来てくれ、忙しいときに手伝いまでしてくれる。儲けではなく、地元のひとが喜んでくれることをしたい。料理人という職を活かしたい。そして、栄村でよかった。